2020/09/16
「悲しみは内側。外はまた別。」RRCS・ゼネコン・生コン
先週令和2年9月8日享年80歳で生涯を閉じた生コンの巨人・柳内正基氏と二人三脚で我が国の生コン産業を拓いた内山アドバンス創始者・柳内光子の目指す先、「自立し栄光のある産業としての生コン」への道。「悲しみは内側。外はまた別。」
悲しみは内側。外はまた別。
月内に発足予定のRRCS(東京大学野口貴文理事長)に生コン産業から理事として参画予定の女帝柳内光子。
その声かけによりアカデミアやゼネコンの関係者らが集まり会食が行われた。
「先週ご不幸があったので今日は延期になると思っていました」
「悲しみは内側。外はまた別。」
力強くそう応え、「密葬のつもりで断ってたんだけど1000人も会葬に来ちゃった」と豪放磊落に咲う。
もう、言葉にならない。
大都会東京を背景に咲う「生コンみっちゃん63年」柳内光子は紛れもないこの国の生コン産業を切り開いた巨人だ。
彼女は63年前まだ小娘だった頃にお兄さんとともに個人商店「内山甚一商店」に入社。
生コンがまだ産業として成立していない時代のことだ。
当時はまだ1台しかなかったという生コン車を自ら操縦し現場に生コンを配達していたという。
現在関東の需要地に16工場を展開し押しも押されぬ日本最大級の生コン製造グループとして業界にその名を知らぬ者はいない。
彼女のこれまでの足跡はまるで映画のストーリーのようで知る価値がある。
(Wikipedia「柳内光子」)
「2年以内に(残コン問題の解決を)やりなさい」
そんな彼女は僕たちの課題《残コン》について共感を寄せてくれた。
「生コンはゴミじゃない」
産業の発展の過程で多くの犠牲者を出してようやく建設現場に当たり前のように届けられる生コンがゴミとして扱われる。
それだけじゃない。
そのゴミの責任の所在は明確にされず、結果として生コンの現場辺境に従事する実務者たちを苛んでいる。
こんな状態では「自立し栄光のある産業としての生コン」とは言えない。
自らが切り拓いた産業「生コン」の行手を阻む《残コン》という問題の打破にあたる生コンラストワンマイルたちに常に彼女は機会を与えてくれた。
⚫︎参考記事: 「生コンはゴミじゃない」生コンみっちゃん60年【柳内光子】が語る残コンについて
令和2年9月8日享年80歳。生コンの巨人・柳内正基氏ご逝去。
僕たちはこの偉大な夫妻が産業を拓いてくれたおかげで当たり前に生コンに従事していられる。
まだまだ課題は山積しているとは言え、産業として今も僕たちは建設に生コンを届けている。
未曾有の発展を支えた生コン供給インフラ。
その夜明けを告げた故・柳内正基氏の功績は産業人の誰もが感謝と尊敬を忘れない。
そして、二人三脚で走ってこられた柳内光子さんの前進は止まらない。
昨日(2020/09/15)都内に集められた関係者一同予定の延期と思っていた。
そこに普段と変わらず優雅に現れた彼女の口から発せられた言葉。
「悲しみは内側。外はまた別。」
柳内さんと野口先生の声かけに集まった方々と記念撮影。
さながら、「偉人・柳内光子を囲む会」だ笑。
迫力が違う。
さあ、生コン・残コンソリューション技術研究会(RRCS)の前進がいよいよ始まる。
我が国の環境コンクリート分野の権威・東京大学野口貴文教授(理事長)。
そして、我が国生コン産業の母・山一興産柳内光子社長(理事)。
この2枚看板がいよいよRRCSをドライブさせることになる。
この僕ももちろん一介のプレイヤーとして全力で取り組んでいきたいと思う。
生コンポータルが縁を結んでいる全国の生コンラストワンマイルたちとともに。
「自立し栄光のある産業としての生コン」
そんな夢の実現に向かって夢中に走りたい。
「悲しみは内側。外はまた別。」
あなたにも、僕にだって、きっと悲しいことや苦しいこと、失意のどん底があるはずだ。
誰だって感情を持っている人間。
柳内光子さんの強さにいつも僕は心打たれる。
栄光ある生コン産業の創造。
終わりのない壮大な物語を力強く推進する彼女は僕の母親(長岡生コンクリート会長)と同い年。
年齢を理由に疲れを見せる母に僕は、
「柳内さんは125歳まで現役やるんだってよ!お母さんもつまらないことにクヨクヨしてられないよ!!」
こう声をかけることがある。
「素晴らしい人に出会えたね。私もこれから。まだまだだね」
柳内光子さんはその存在だけで周りに勇気を与えてくれる。
今はまだ理解してくれない人がいることも知っている。
残コン問題解決を利益誘導と邪推する向きもあるようだ。
ご縁を繋いでくれた小豆島生コンの安達周代(ちかよ)さんや僕など後進に、彼女は常に思いやりをかけてくれる。
「とにかくがむしゃらにやる子(彼女や僕のこと笑)の力になりたいのよ」
彼女にとっては野口先生だって「つい最近生まれた若い子」だ笑。
「信じた道にがむしゃらにやりなさい。泥棒だって石川五右衛門のように突き抜けちゃえば英雄よ」
そんな女帝・柳内光子と野口先生の二枚看板が動き始める。
そこでは、アウトだとか組合だとか後から誰かが作ったしがらみにとらわれない、ひとえに《残コン》という産業全体の共通テーマを通して、実りあるものづくり・産業の創造が始まることだろう。
「悲しみは内側。外はまた別。」
最愛の伴侶を亡くした心内はいかばかりか。
僕は胸が張り裂けそうで声も出ない。
生コン産業再興のシンボル・柳内光子と仲間たちが導く残コンブレイクスルー。
往時、彼女とご主人様が拓いた生コン産業のように。
新しい栄光が今拓かれようとしている。
今、僕たちはそのスタート地点に立っている。
(お目にかかったことはございませんが、業界の発展に身を捧げた偉人・柳内正基様のご冥福を心よりお祈り申し上げます)。
宮本充也