2022/08/02
《コンクリートサロン》「コンクリート業界で本音をぶつける機会はあるだろうか」 #3
松田信広さんから共有された問い。何故、売れないのか。そこがきっかけとなって議論は白熱に向かった。世界は求めている。でも、世界にそれはまだ現れない。何が原因。運用?技術革新?それとも?作る人・使う人・学ぶ人に加えて買う人を巻き込んだ関係性の刷新について。
何故そのコンクリートは売れないのか?
⚫︎参考記事:《コンクリートサロン》「コンクリート業界で本音をぶつける機会はあるだろうか」 #2
議論は加熱していく。
松田信広さんから提示された問い。
それは再生骨材コンクリートに限らない。
日経xtやセメント新聞、コンクリート新聞が取り上げる「新しい」「チャレンジングな」「イノベティブな」コンクリートは身近な擁壁や土間コン、家の基礎に用いられているのをみたことがない。
極論、発表だけ。
発表とか特許取得とかが目的なの?って感じ。
そんなコンクリートだらけだよね、一流と呼ばれるコンクリートって。
有体にいえば「売れないコンクリート」。
そうなっちゃう理由って?
生コン工場を置いてけぼりにしないで
これ、柳内光子(生コンみっちゃんもうすぐ70年)さんの名言。
「生コン工場を置いてけぼりにしないでちょうだい」
野口先生をはじめそうそうたる面々が「こんなにあるぞCO2吸収コンクリート」の一幕で発せられたもの。
「最先端」と呼ばれる研究は結局生コン工場が置いていかれる。
で、「実装」という段になって、GCから多層構造で商社や組合を経由して生コン工場にやってくる。
生コン屋からしたら、「脱炭素? 食えんのか?」となり、ややこしい案件として捉えられてお断り価格を提示される。
+10,000円/m3とかね。
「おとといきやがれ」塩対応。
とある学生がいいことを言った。
「既存の秩序( ZENNAMA)から敵視されるってのありませんか?」
ある。
あるよ、それ。
松田さん隣で言いにくそうにしてたから僕が言ったけど、ACRACはそもそも生コン産業・秩序からは「敵」認定されていたのを僕は知っている。
再生骨材コンクリートは生コン市場を侵略する「敵」だと。
結果、世間はエコエコ、リサイクルリサイクル、言ってますけど各論では「普通の生コン使いましょう」となる。
リサイクル、再生骨材コンクリートだけじゃあない。
ゼネコン技術研究所がおよそ生コン工場に特殊コンクリートを求めるとその回答は大抵「おとといきやがれ」となる。
何故、生コン工場は特殊なコンクリートを練ろうとしないのか?
もちろん、ゼネコン側の体質にも問題がある。
前述の通り、生コン工場置いてけぼりで勝手に開発を進めるってのが原因だ。
ただし、それだけじゃあない。
特殊コンクリートが世の中に敷衍しにくい原因には色々あるかもしれないが2つの大きな問題が共有された。
①独占禁止法適応除外(協同組合、流通構造)
ぶっちゃけた話をすると生コン組合がしっかり(というのはカルテルががっちり)していたら生コン工場は努力しない方が楽になる。
口開けて待ってりゃ餌が勝手に入ってくる。
割決と言って、組合が生コンをちゃんと分け与えてくれる。
そんな環境であれこれ学ばなくてはならない特殊コンクリートを面倒な思いをして製造するやつい?
いねーよなー?
これが、本質ってやつだ。
世のことわりってやつ。
また、そんな閉じた系では出る杭は打たれてしまう。
僕自身まだまだ青二才だった頃は組合の中でちょっと目立つことをして大手ゼネコンの生コンを一手に任されたりなどすると総スカン、干されたものだ。
たっぷり黒金を取られ、他の案件が回ってこないなど嫌がらせをたくさん受けた。
(ちなみに、そのゼネコンは目の前にいた坂田さんの所属する鹿島だった)
まあ、今は、出過ぎた杭は抜けてしまって、組合の方々とは異なる次元で仕事してます、はい。
閉じた系の中でお行儀よく無意味でベルトコンベアに乗ってるような人生は嫌なんで
また、これは技術とは関係のないことだったからコンクリートトークでは共有しなかったけど、多層構造を有する商社の技術に対する不理解、というのも特殊コンクリートの普及が進みにくい原因として挙げられるかもしれない。
そもそも彼らは自分のところからセメント買ってくれる生コン工場を優先したいだけの存在なのだから。
②JIS A 5308
「今回は間に合わないから次回2029年の改訂には絶対にJISを変える。細田先生、今回については爪痕だけでも残しておいてください」(坂田昇)
どうしてJIS A 5308 は1N刻みとかスランプとか、とにかく細々としつこく区切るのか。
管理対象が増えれば当然リソースはそれだけ奪われることになる。
そうなると、品質の安定は図りにくくなる。
生コン工場を苦しめる規格になってしまう。
それも、特殊コンクリートに生コン工場が向き合いにくくしている原因という指摘だった。
もっとシンプルに、性能規定によったものになれば。
「強度は20N、30N、40Nと高強度。スランプはかたい、やわらかい、高流動の3つ」(坂田昇)
極論のように聞こえるかもしれないが、そっちの方が実際に品質は安定するはずだ。
細かくすればするほど面従腹背、狐と狸の化かし合いが始まる。
コンクリート実務をよく知る坂田昇さんならではの論旨展開。
「こんなに細かくてややこしい規格であることで誰が得するの?」(細田暁)
「学者ですかね?」と即答する僕。
いや、違う。
自分で言ってて気づいた。
確かに学者は物事をややこしく難しくすることが仕事のような感じではあるが、それを依頼しているのは誰?
発注者(役所)。
つまり、「買う人」。
コンクリートサロンには3つの属性が参集した。
作る人・使う人・学ぶ人。
これだけじゃ足りない。
買う人が揃ってようやく単なる愚痴の言い合いではない建設的な議論が生まれるのではないか。
「志賀さん、次は【買う人】も呼んでよ」
「対等に、誠実に。」(東舞)
特殊コンクリートがきちんと世の中に求められる通りに循環するためには。
東舞さんは、「対等に、誠実に。」というワードを語られていた。
確かに買うのはゼネコンで、売るのは生コン。
現場所長の中には「勘違い野郎」がいるのは事実。
僕も誰とは言わないけれど、そんなヒエラルキーの中で思い上がった勘違い野郎を大勢見てきた。
こうなるとそこには「協力」は生まれにくく、どうしても売る側(作る人)は防衛的になり本絵を隠そうとする。
これは、ゼネコン・生コンに限らず、ゼネコン・発注者の間にも同様のことが起きる。
特殊でイノベティブなコンクリートが世の中に普及しにくい理由を前半戦は「発注者のせい」と断定しつつあったが、途中から修正が生まれた。
休憩中トイレで小便を垂れながら細田先生と議論したところでは、「誰でも自分がやってることを批判されたらそれが正しくてもカチンときて議論にならない。まずは【尊重】が重要かもしれない」なんて結論に至った。
ほんの数秒の出来事である。
おしっこで終わるまでの時間もかからないほど単純な結論だった。
作る人・使う人・買う人・学ぶ人 それぞれが互いを尊重し理解し合う
決めつけ、は二元論・二項対立を生む。
すると、そこには協力関係は生まれない。
それが、作る人・使う人・買う人・学ぶ人全ての間で起きてしまったのが、現在のコンクリート産業の現実。
だから、世界が求めているコンクリートは産業系を循環しない。
僕は10年近く前にそんな現実に臨んでインターネットに180度舵を切った。
いわば、「もう、だめだこいつら(産業に従事する人たち全員)、無理」と背を向けたのだった。
そこからインターネット集客に全集中してそこそこの成果を上げているのは周知の事実だ。
「宮本くん、諦めるんじゃなくて、力を合わせてなんとかしよう」
坂田昇さんの助言だ。
うん。
僕や松田さん(作る人)だけじゃ無理だけど、確かに坂田さんや東さん(使う人)、さらに学ぶ人と買う人が対等に、誠実に、互いを尊重し理解し合うのであれば。
世界が求めるコンクリートが現実として世界に届くことになるだろう。
「今が最後のチャンスなんだと思います」
長年の分断で生コン工場は疲弊し切っている。
生コンは使う人や買う人をもはや「敵」と認識し防衛的になっている。
自分達を追い詰める「敵」だと。
ここが最後のチャンスだ。
コンクリートトークという機会を通じて「本音」でなんと4時間半もぶっ続けで意見交流をすることでそれが見えてきたような気がした。
だって、ここには坂田昇がいる。
細田暁がいる。
そして、近いところには野口貴文がいる。
一丸となって弱い立場に立って経済循環を今一度見直し新しい秩序を構築する。
生コン工場がものづくりの誇りを取り戻す。
このコンクリートトーク。
企画したのは、なんと20代の学ぶ人・志賀さんだ。
もちろん、この日に至るまで多くの大人たちが力を貸しただろうけれど。
それでも、主催したのは誰でもない志賀純貴だった。
年齢や属性関係なく実際に形にする人に対して僕は尊敬を惜しまない。
よくやった、志賀さん。
最後の修論プレゼンについては四人から集中砲火されてなかなか大変そうだったけど笑。
でも、あんたはすごい。
マジで、すごい。
このまま突っ走っちゃってください。
たくさん失敗してください。
また、次の企画を楽しみにしています。
さらには、これが後進に引き継がれ、幾久しく続くことを願っています。
さあ、これからもコンクリートをお互い精一杯楽しもう!
宮本充也